―嫌な空気―
数年前からKYという略語?が日常的に使われている事実は、まったく説明する必要がないと思います。私も友人と会話する時に『空気』という言葉を、それ独特のニュアンスで口にすることがあります。しかし、最近この略語を徐々に嫌いになっている自分がいます。
明確な理由はひとつ。
KYという略語は基本的に人と違う、場の雰囲気と違う行動・行為・発言に対して使われますが、これはつまり皆が単一であろうとする傾向の表れであるからです。
一般的な価値観や発言とは少しでも違うと「KY」「空気が違う」と呼ばれる・・・これは多数が少数を威圧する言葉の暴力です。『KY』が流行語大賞にノミネートされるあたり、日本人の国民性を顕著に表しているいい例のひとつではないでしょうか。
世の中の価値観は普遍的なものではなくて、絶えず流動的で情勢や環境の変化に従って色を変えていくものです。何故、今の日本人は本来変わりやすい価値観にとらわれ、これを必死に守ろうとするのか疑問です。政治家には改革を訴える一方で、国民は保守派なのです。
ただし、確かに集団の中で、楽しんでいる場の雰囲気を崩す奴が少なからずいます。学生の頃、決まってKYな奴がいて、そいつが喋っている輪に来ると「あーもう楽しくなくなるなー」と心の中で舌打ちしていました。事実、その人物はクラスでも周知のエアーブレイカーだったのです。
KYという言葉を使えば、その人に極めて短時間で状況と注意を喚起でき、他の言葉では並ぶことのできない伝達力です。
いわゆるKYな奴はどこに行っても1人、2人いるもので、これは本来単一でない人間が集団で社会を形成している以上、仕方のないことだと私は考えています。
悪い意味でKYな奴というのは目立ちますが、世の中で名を馳せる人物というのは必ずしもそうではありませんが、大体にして人とは違う何かを持ち、一般の価値観にとらわれないことで成功しているものです。
天才やリーダー、指導者というのは、一般人と並ばず何らかの分野で抜きんでている人物を指します。広義な意味でKYを用いると、そういう人達は世の中に認められるまでKYな奴です。一端、認められてしまえば日本人は手の平を返すように賞賛しますからね。
何も考えずに人が楽しんでいる場の雰囲気を崩すような奴は、KYと呼ばれて当たり前のことですが、人とは違う価値観や発想で努力している人に対しても、KYという言葉が使われている事実は危惧すべき社会的な問題です。
若い世代ではなくても、いわゆるKY的扱いというのは昔からあるのだと思います。しかし、新しい物事というのは良い意味で一般常識を打ち破ることで生まれ、行く行くは一般の価値観や常識を変えていくものです。
例えば若者からお年寄りまで大好きな音楽にしても、それまでの様式とは違う新しい形に感動しそれを望んでいるにも拘わらず、知らず知らずの内にその温床となる良い意味でKYな人を認めない矛盾・・・。
出る杭は打たれるとか、その中でも努力しろとか言われますが、合理化が進む現代社会や国際化に日本が取り残されつつあること、才能のある人が新しい何かを生む効率の妨げの結果、その才能を無駄にしている国民性。
KYという言葉は先述した嫌な奴以外にも、日本人の悪い国民性を簡単に言い表せる便利な略語であると感じる昨今でした。
明確な理由はひとつ。
KYという略語は基本的に人と違う、場の雰囲気と違う行動・行為・発言に対して使われますが、これはつまり皆が単一であろうとする傾向の表れであるからです。
一般的な価値観や発言とは少しでも違うと「KY」「空気が違う」と呼ばれる・・・これは多数が少数を威圧する言葉の暴力です。『KY』が流行語大賞にノミネートされるあたり、日本人の国民性を顕著に表しているいい例のひとつではないでしょうか。
世の中の価値観は普遍的なものではなくて、絶えず流動的で情勢や環境の変化に従って色を変えていくものです。何故、今の日本人は本来変わりやすい価値観にとらわれ、これを必死に守ろうとするのか疑問です。政治家には改革を訴える一方で、国民は保守派なのです。
ただし、確かに集団の中で、楽しんでいる場の雰囲気を崩す奴が少なからずいます。学生の頃、決まってKYな奴がいて、そいつが喋っている輪に来ると「あーもう楽しくなくなるなー」と心の中で舌打ちしていました。事実、その人物はクラスでも周知のエアーブレイカーだったのです。
KYという言葉を使えば、その人に極めて短時間で状況と注意を喚起でき、他の言葉では並ぶことのできない伝達力です。
いわゆるKYな奴はどこに行っても1人、2人いるもので、これは本来単一でない人間が集団で社会を形成している以上、仕方のないことだと私は考えています。
悪い意味でKYな奴というのは目立ちますが、世の中で名を馳せる人物というのは必ずしもそうではありませんが、大体にして人とは違う何かを持ち、一般の価値観にとらわれないことで成功しているものです。
天才やリーダー、指導者というのは、一般人と並ばず何らかの分野で抜きんでている人物を指します。広義な意味でKYを用いると、そういう人達は世の中に認められるまでKYな奴です。一端、認められてしまえば日本人は手の平を返すように賞賛しますからね。
何も考えずに人が楽しんでいる場の雰囲気を崩すような奴は、KYと呼ばれて当たり前のことですが、人とは違う価値観や発想で努力している人に対しても、KYという言葉が使われている事実は危惧すべき社会的な問題です。
若い世代ではなくても、いわゆるKY的扱いというのは昔からあるのだと思います。しかし、新しい物事というのは良い意味で一般常識を打ち破ることで生まれ、行く行くは一般の価値観や常識を変えていくものです。
例えば若者からお年寄りまで大好きな音楽にしても、それまでの様式とは違う新しい形に感動しそれを望んでいるにも拘わらず、知らず知らずの内にその温床となる良い意味でKYな人を認めない矛盾・・・。
出る杭は打たれるとか、その中でも努力しろとか言われますが、合理化が進む現代社会や国際化に日本が取り残されつつあること、才能のある人が新しい何かを生む効率の妨げの結果、その才能を無駄にしている国民性。
KYという言葉は先述した嫌な奴以外にも、日本人の悪い国民性を簡単に言い表せる便利な略語であると感じる昨今でした。










